自然の一部 part①
今日でGWも終わり、明日からまた日常に戻ります。
今日のブログは直接ヨガのお話ではないですが
レッスンをお休みしていた間の生活の中で気づいたこと、感じたことをちょっとだけシェアさせてくださいね。
レッスンをお休みさせてもらっている間、自分のエゴや人間の傲慢さにたくさん向き合う機会がありました。
仕事上や人間関係で感じるたくさんのストレスに疲弊して、それを修復するように好きなことに没頭するのですが、自分が受け手として感じるストレスを、与える側の立場になりかねないとふと思ったのです。
私は草花や樹木が好きで、この2年間庭づくり(というかほぼ造園)をしているのですが、植物を育てるのは初心者なので、枯らさないよう上手く育てられるようあれこれ調べたり様々な人のブログを参考にさせてもらってなんとか育てています。
そんな中、植物が好きなのにいつもうまく育てられないというのもよく目にするようになって、原因を探ると「毎日欠かさずお世話をしていました↪︎水のやり過ぎ、肥料のやり過ぎ、過保護だった」というパターンがかなり多い事を知りました。
植物を枯らすっていうと大体水やりしないとか雑な育て方で枯れてしまうって思ってたけど、実は逆の方が多いようなんです。
植物はお日様が好き!毎日水やりしないと枯れてしまう!冬外に置きっぱなしなんてかわいそう!
これって全部、人間側の固定概念であり、言い換えると偏見でありレッテルです。
確かに植物が育つのに水も光も必要だけど、その程度は全て同じではなくて、温かいところじゃないと育たないものもあれば、極寒地でも死なないけど暑さにはめちゃ弱いとか、カッサカサくらい乾いても平気だったり湿り気がある土が好きだったり、とにかく多種多様なんです。
そういうそれぞれの特性を無視して自分のやり方を押し付けたらどうなるか?
なんだか人間も同じだなって思ったんです。
「私はあなたが大切だからこんなに色々してあげてるのに!どうして大切にしてくれないの?!」
「あなたのためを思って色々してあげてるのに、どうしてわかってくれないの?!」
親子、恋人、友人、上司と部下、、、こういう言葉、聞いたことありませんか?あるいは自分自身が言ったことないですか?
こんなに思ってるのに!こんなにしてあげてるのに!って、それはその人がしたいことであって、相手が望んでいるかどうかはお構いなし。
相手にこうして欲しい、こうなって欲しいという自分の欲求、そしてこんなにしてあげたんだから相手もわかってくれるだろう、こうしてくれるだろうという見返りを求めて。
これは相手の為ではなくて自分の為の行為です。相手を無視して一方的に押し付けたっていい関係は築けないですよね。
相手が人間でも動植物でも同じ。
まずは相手を知ること、そして相手を尊重して何を望んでいるのか、何が嫌で何をしたら喜んでくれるのか、冷静に全体像を見れるよう少し離れたところに自身を置くことがとても大切だなと考えさせられました。
長くなったのでpart②に続きます。